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西暦/年号 |
年齢 |
詳 細
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1913年/大正2 |
0歳 |
7月23日、茨城県真壁郡五所村(現筑西市上平塚)の農家(小地主で、搾乳業や村消費組合などの設立者)、父啓三郎、母サクの長男として生まれる。 |
1920年/大正9 |
7歳 |
五所小学校に入学。長塚節風の作文を父に手ほどきされる。 |
1925年/大正14 |
12歳 |
担任の教師稲葉勇也(詩人上野壮夫の実兄)が下宿する。 |
1927年/昭和2 |
14歳 |
栃木県立真岡中学校に入学。 |
1928年/昭和3 |
15歳 |
真岡中学の一級上の友、高松甚二郎及び図画教師大江九二太郎(四十年社同人)の影響により油絵を描き始める。国語教師関卯一(アララギ準同人)の短歌精進の態度にも感銘。 |
1930年/昭和5 |
17歳 |
真岡町高松邸にて清水登之に油絵を教わる。 |
1931年/昭和6 |
18歳 |
真岡中学校卒業。上京、プロレタリア美術研究所に入る。父啓三郎急死する。上京前に描いた鉛筆画「カマボコ小屋」が『プロレタリア美術』第一号に掲載される。プロレタリア美術家同盟員となり、農民美術委員会書記、ナップの農民芸術研究会書記をかねる。上野壮夫に会う。 |
1932年/昭和7 |
19歳 |
『プロレタリア文学』編集の上野方に身を寄せ、同誌の挿絵を描き、美術記者をかねる。『農民新聞』(全農全会機関紙)の付録として「農民漫画」を吉原義彦とともに二回発行する。親族会議によって、相続するはずの家産一切を失う。 |
1933年/昭和8 |
20歳 |
徴兵検査を受ける。丙種第二国民兵役に編入される。 |
1934年/昭和9 |
21歳 |
再び上京して上野方に身を寄せ、油絵を吉原義彦に学ぶ。隣人尾崎一雄によって、作家の心構えを知る。
本庄陸男、堀田昇一、平林彪吾、小熊秀雄と親しくする。 |
1935年/昭和10 |
22歳 |
帰郷、孤独の心情を在京の新居広治の手紙に励まされる。新居の来訪数次。 |
1936年/昭和11 |
23歳 |
下館町小学校で画友と 郷土洋画展 をひらく。油絵を出品。 |
1937年/昭和12 |
24歳 |
西茨城郡岩瀬町若林一男編集『漫画研究』にエッセイを続けて寄せる。下館町で 茨城漫画派集団展 をひらく。若林一男、滝平二郎ら出品。鈴木賢二に奨められて版画を始める一方、詩作に凝る。宇都宮市に伊藤信吉を訪ねる。 |
1938年/昭和13 |
25歳 |
森下才一郎編集の農民文学雑誌『地上』に表紙の版画を翌年にかけて毎号送る。真壁郡大村の詩人木村信吉を訪ねる。 |
1939年/昭和14 |
26歳 |
下館郵便局の事務員となる。 |
1940年/昭和15 |
27歳 |
造型版画協会第4回展(東京都美術館)に「麦刈り」〈群像〉「糸とり」二点入選。 |
1941年/昭和16 |
28歳 |
造型版画展に四点入選、同協会会友となる。新居広治に誘われて新美術団体連盟発会式に出席。尾崎三郎、鱸利彦に会う。 |
1942年/昭和17 |
29歳 |
造型版画展に二点出品。下館文化連盟を作る。総合美術展を下館町真壁郡農会会館に開く。出品の版画が郡農会長赤城宗徳に買われる。 |
1943年/昭和18 |
30歳 |
大橋キミと結婚。造型版画展に二点出品。小野忠重の蔵書の疎開を引き受ける。 |
1944年/昭和19 |
31歳 |
木村信吉より券を得て竹山尚と第二回大東亜文学者会議を傍聴。鈴木賢二と宇都宮市外鶴田に川上澄生を訪ねる。木村信吉と筑波郡小田村に津田青楓を訪ねる。 |
1945年/昭和20 |
32歳 |
下館町翼賛壮年団道場(下館会館)で個展。在住の板谷波山、武内鶴之助、西条八十、中島藤一が来る。下館郵便局を辞職、五所村役場書記となる。 |
1946年/昭和21 |
33歳 |
農民組合を作って五所村役場書記を解かれる。新居広治、久保貞次郎、鈴木賢二らと日本美術会北関東支部を作る。新居とともに日立、水戸、高萩に移動展に行く。 |
1947年/昭和22 |
34歳 |
鈴木賢二、滝平二郎と刻画会を作る。宇都宮市で北関東美術第一回展を開く。中日文化研究所中国木刻展に協力、東京、栃木、茨城等各地で移動展と実技講習会を行う。奥久慈版画会から『版画通信』を編集発行。久慈郡大子町で日本新木刻運動会議開催。李平凡、内山嘉吉、小野忠重らと出席。新版画懇話会のための準備会(東京)を恩地孝四郎、小野忠重らと重ねる。 |
1948年/昭和23 |
35歳 |
創作版画集『田園四季』頒布。新版画懇話会結成、久保貞次郎らが出席、常任幹事となる。朝日新聞社主催・現代中日版画展に出品。座談会「中日版画を語る」に恩地孝四郎、北岡文雄、内山嘉吉、小野忠重、菊地三郎らと出席(吉昌社)。真岡高校で真岡女子高絵画クラブとの講習会を行う。受講生に秋山静がいた。日本アンデパンダン第二回展に出品。創作版画集『のら』(菊地三郎序)頒布。『版画通信』第三号編集発行。 |
1949年/昭和24 |
36歳 |
創作版画集『村の人』限定25部頒布。下館の詩誌『太鼓』に寄稿。新日本文学会下館支部を作る。母サク死す。大月源二編集『北土造型』に「現代版画論」を執筆。 |
1950年/昭和25 |
37歳 |
日本アンデパンダン展に出品。下館啄木祭。 |
1951年/昭和26 |
38歳 |
読売アンデパンダン展に出品。下館文芸放談会を作る。旬刊『真壁新聞』編集顧問、採集のわらべうたなど発表。筑波根詩人横瀬夜雨を偲ぶ会を(下館市)開く。旺玄会展に出品。 |
1952年/昭和27 |
39歳 |
長塚節生誕七十五年祭を(下妻市)開く。旺玄会に出品、会友となるが以後出品せず。下館で指導の児童版画集『少年の版画』をまとめる。 |
1953年/昭和28 |
40歳 |
日本アンデパンダン展に出品。「長塚節回想と研究」を編集発行、この頃中野重治をよく訪ねる。 |
1954年/昭和29 |
41歳 |
村田元と陶器と版画二人展(東京・すずき工芸店)開催。下妻市で版画個展。 |
1955年/昭和30 |
42歳 |
造型版画小品展(東京・三省堂画廊)に出品。小田切秀雄、久保田正文らと長塚節四十年祭を開く。(東京・青山)中野重治、土屋文明らとともに講演をする。雑誌『平和』『新日本文学』『作文教育』『新日本歌人』『農民文学』に長塚節について執筆。東京第一生命ホールで個展。版画懇話会の現代版画展に「ふるさとに生きる」出品。『下館文学』に執筆。造型版画十二人展に出品。 |
1956年/昭和31 |
43歳 |
日本アンデパンダン展に出品。平和美術展に出品。 |
1957年/昭和32 |
44歳 |
日本アンデパンダン展に出品。林基編集の『歴史評論』に表紙版画「はにわ」連作。 |
1958年/昭和33 |
45歳 |
「大塚甲山と樋口配天」アカハタに執筆。詩集『やぶれた花』『かなしき春』出版。『歴史評論』に表紙版画「失われ行く農具」連作。 |
1959年/昭和34 |
46歳 |
下館市で個展。版画懇話会の現代版画展に出品。 |
1960年/昭和35 |
47歳 |
現代日本版画コンクール(高島屋)に出品。現代版画展に「鍬を持つ二人の農婦」出品。 |
1961年/昭和36 |
48歳 |
ソ連美術家同盟の現代日本版画展に「鍬を持つ二人の農婦」出品。日本アンデパンダン展に出品。協同展(大阪)に出品。 |
1962年/昭和37 |
49歳 |
新橋美松書房ギャラリーで個展。鎌倉近代美術館に土方定一を訪ねる。洲之内徹に会う。 |
1963年/昭和38 |
50歳 |
東京銀座・現代画廊で個展。日本アンデパンダン展に出品。 |
1964年/昭和39 |
51歳 |
朝日新聞社の日本中国版画交流展に「冬の筑波」出品。現代画廊で個展、長谷川仁に会う。 |
1965年/昭和40 |
52歳 |
現代画廊で個展。(1967年にも油絵と版画の個展) |
1966年/昭和41 |
53歳 |
名古屋日動画廊で個展。北川民次に会う。 |
1968年/昭和43 |
55歳 |
名古屋日動画廊・スキヤバシ日動画廊で個展。 |
1969年/昭和44 |
56歳 |
日動画廊主催・太陽展出品。スキヤバシ日動画廊で個展。水海道市民会館の緞帳原画(版画)を作る。 |
1970年/昭和45 |
57歳 |
太陽展に出品。季刊『常総文学』に執筆。 |
1971年/昭和46 |
58歳 |
日動画廊茨城美術家展に出品。茨城新聞社茨城秀作美術展に出品。 |
1972年/昭和47 |
59歳 |
矢部友衛の紹介で東京板橋に高橋鉄を訪ねる。現代画廊で個展。水海道市で個展。新いばらき首都圏美術展に出品。東急日動画廊第一回笠間展に出品。 |
1973年/昭和48 |
60歳 |
愛知県半田市の童話作家新美南吉の家襖に南吉の詩「ひらがな幻想」を書刻。ホテル・ニューオータニで内山嘉吉、大田耕士とともに中国版画家古元に会う。栃木県立美術館友の会木版画講習会に出講。 |
1974年/昭和49 |
61歳 |
日立市・二葉画廊で個展。風書房より松永伍一編「飯野農夫也版画集」刊行。 |
1975年/昭和50 |
62歳 |
土浦市・宇野画廊で個展。札幌市・NDA画廊で個展。栃木県立美術館'75日本の版画展に出品。宇都宮市で個展。この頃より梨の木版画会等の版画講習会の講師を、以降約25年に渡り数カ所で務める。 |
1976年/昭和51 |
63歳 |
山形市で個展。茨城県民文化センター十周年記念茨城県秀作美術展に出品。名古屋日動画廊の新美南吉記念館賛助作家展に出品。家の光協会より「飯野農夫也作品集」刊行。 |
1977年/昭和52 |
64歳 |
下妻市で個展。常総文学第九号「飯野農夫也特集」発行。NHK日曜美術館「私とミレー」に出講。 |
1977年/昭和52 |
64歳 |
関城町・関本公民館ホール壁画の原画(版画)を作る。 |
1982年/昭和57 |
69歳 |
日中版画友好交流代表団団長として訪中。 |
1986年/昭和61 |
73歳 |
世田谷美術館、栃木県立美術館主催「芸術と素朴展」に出品。関城町庁舎ロビー壁画の原画(版画)を作る。 |
1988年/昭和63 |
75歳 |
茨城県近代美術館主催「現代茨城の美術展」に出品。 |
1994年/平成6 |
81歳 |
名古屋日動画廊で故北川民次との二人展開催。 |
1995年/平成7 |
82歳 |
下館市主催・画業65周年記念飯野農夫也画業展(下館市文化ギャラリー) |
1997年/平成9 |
84歳 |
銀座・秀友画廊にて個展(1999年にも開催)。阿見町総合保健福祉会館ロビー壁画の原画を作る。 |
2000年/平成12 |
87歳 |
北関東の戦後版画運動・野に叫ぶ人々(栃木県立美術館)出品。土に生きる農民たち・世田谷美術館収蔵品展(東京・世田谷美術館)出品。 |
2001年/平成13 |
88歳 |
飯野農夫也と郷友展(長野県北御牧村立梅野記念絵画館)出品。 |
2004年/平成16 |
91歳 |
飯野農夫也画業展−大地と人間への讃歌−(しもだて美術館)。 |
2006年/平成18 |
92歳 |
1月28日 没。 |
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